ねこの戦い。

2006年10月15日
ねこの戦い。
迷彩による禁則がどうしても取れない場合があります。
呪術によって実際の歴史上の人物が妖怪や動物の姿で現れたり、
風景がまったく変わってしまったりして、実際に何が起こったかわからなくする
結界です。

禁則より怖いのは禁忌です。これに触れると恐ろしいことになるので、
禁忌には触れられません。

前々から気になっていることはねこのことです。
頭の上に黒いブチがあって赤いチャンチャンコを着ているねこです。
いつもは、住之江の住吉大社の稲荷神社に間借りして住んでいるそうです。
住吉神社にはこの世とあの世をつなぐ出入り口がどこかに
隠されているとか。
そこからいったりきたりしているそうです。

姿はねこですが、八尋大熊鰐 の末裔で、竜宮城のお姫様の家来だそうです。
古代において、この難波のねこが戦った半生を振り返ってみましょう。

竜宮城の姫が人間の大君と婚姻を結ばれた。
竜宮の兵を得て、志を大きくお持ちになった大君は、
西方で暴れたる熊を退治するため、兵をあげられた。
播磨までくると、鴨が軍を率いて現れた。
「恐れ多くも大君に置かれましては、鴨が大功を建てました
さいには、吉備を賜りたく、伏してお願いもうしあげます。」
大君は、鴨に吉備のケラを賜った。
すると、大君に当初から付き従っていた猪が
「我が臣、忠実なる犬めにもどうかお慈悲を」と申し出たので、
猪、犬にそれぞれ、ケラを賜った。
これを見て鴨は「道案内に優れたる我が身内なる猿にもご慈悲を」と
申し出たので、猿にもケラを賜った。
一同大いに喜びて軍を進めたが、
竜宮の乙姫様だけは、
「熊は動物であるので可哀想。悪逆の羅刹のみぞ討ちましょう。」と
のたまわれました。
ねこは当然ながら乙姫様に賛同いたしましたが、
大君はこのお言葉を退けられ、熊を退治する次第になりました。
賊軍が近くなると、神鷹が大君の弓の先に舞い降り、
そこからは神鷹が道を先導した。
我が大軍が熊を攻めればさすがの熊も恐れおののきて退却するが、
不意に背後から羅刹が攻撃してきた。
熊と羅刹は手を組み、我らを待ち構えていたのである。
ねこは懸命に防いだが、なんたることか、大君に熊の矢が当たり、
しばらく後に大君は崩御なされた。
我らも必死に反撃したので、なんとか軍は持ちこたえたものの、
この後の事を思えば暗澹たる思いになった。
竜宮の乙姫様は、かねてより熊に目をかけておいでになったので、
乙姫様の近衛兵のうさぎを使者として熊に送った。
熊とて、羅刹は海の向こうの鬼が島より兵を差し向けたるものであるから、
長期戦になれば己らが不利になることが分かっていたので、和解には
理解をしめした。
しかし、問題は羅刹の軍である。
大和朝廷を攻める代償として羅刹は軍をよこしたものであり、ここで
朝廷と和解すれば、以後熊は羅刹の後ろ盾を失う。
協議した結果、先だってより熊を可愛がりたる乙姫様が
大君の位につくのであれば、臣下の礼をとりましょうと熊が発案した。
このような案は、大和におわす人間の皇太子殿下がお受けにならぬ事だが、
危急のことにて、このねこが独断で交渉に応じた。
その代わり、熊王菊池命は、大和本国と我々が戦に及んだ場合は、
援軍を差し向けるよう、盟約を結び、その証として、軍監の職として、
武内宿禰を派遣したるよう盟約をとった。
盟約通り、熊は夜陰に乗じて羅刹の将軍の首を打ち、両軍でせめて、
羅刹の軍を壊滅した。
その勢いに乗じて、鬼が島に渡り、神鷹を先鋒として、散々に羅刹を打ち負かし、
降伏に追い込んだ。
これは、いざという時のために大和の忠臣神鷹の勢力をそぐ算段でもあった。
羅刹が降参して本国に帰国したのち、かねてより身ごもられたる大君の皇子を
乙姫様がお産みになられる。
ここで、乙姫様は、自ら大君となられ、皇太子をこの皇子と定められた。
このことに群臣、驚きあわてたが、竜宮の使いである八尋大熊鰐、
ねこ、うさぎ、熊は、かねてより示し合わせたることにて、
これに賛同した。
この姿勢をみて、猪、犬、鴨、猿もこれに合意した。
唯一、神鷹のみは、「朝廷への反逆である、この逆賊が!」と
激昂して故郷に軍を率いて帰った。
ただ、鬼が島での消耗激しく、反抗の兵を挙げるには至らなかった。
こうなれば、早く事を決しなければならない。
ねこは先頭に立ち軍をすすめた。
神鷹も朝廷に使者を送り、鹿に乗った皇子と熊に乗った皇子が軍を率いて
都をたった。
朝廷軍は播磨明石にて陣をひいて待ち構えていたので、
乙姫様は播磨の明石にて軍をとめ、
浜の三巫女を呼んで、播磨御神木の磐楠大神と赤石大明神に
戦勝祈願を行った。
すると、
天照大御神、稚日女尊、事代主命が天より舞い降りて戦勝を告げたので
一同大いに沸きあがった。
朝廷軍の軍は細く長い砂浜に軍を置いていたので、
猪が山に登り鹿の皇子と熊の皇子の間辺りに攻め込んだ。
敵は混乱し、四散し鹿の皇子は乱戦の中押しつぶされて圧死した。
海では八尋大熊鰐が敵の軍船を食い散らし、ことごとく海に沈めた。
これをみて熊の皇子は逃げ去ったが、菟道で軍を建て直して、
逆襲してきたので、ねこは素直に謝って降伏した。
熊の皇子が許してくださったので、ねこは感動して、
「なんと寛大な、もう刃向かわない証拠に弓の弦を切りましょう」
と言って自ら弓の弦を切り、全軍にも同じように弦を切らせた。
熊の皇子はたいそう喜ばれ、喜びを表すために、自らも弓の弦を切り、
全軍に弓の弦を切らせた。
敵が全員弓の弦を切ったので、こっちは予備の弓がったので、予備の弓に
矢をつがえ、熊の皇子を打った。
武器がない熊の皇子の軍は総崩れとなり熊の皇子は琵琶湖に身を投げて死んだ。
味方の大勝利に、乙姫様は大いにお喜びになり、
天照大御神、稚日女尊、事代主命と明石の三神、そして山の上に乙姫様の
先祖神である 武甕槌之命の宮を建てることとなった。

  1. Posted by なまず 2006年10月15日 17:07
ねこたろさん、こんばんわ^^。
いつも興味深い話を有難う御座います。
自分は歴史には詳しくありませんが、ねこ太郎さんの書かれた内容を調べて参りますと、
人物などが実在したかどうかよく分かっていないらしいですが、
このブログに登場するということは実際に実在したということなのでしょうか?
乙姫様は神功皇后のことで、ねこは難波根子建振熊のことだと思いますが、
一般には、このころの話は実際にあったとかなかったとか、色々な見解がありますよね。
  2. Posted by ねこ太郎(管理人) 2006年10月15日 17:51
私も実在された方かどうかは分かりません。
ただ、仲哀天皇は夢にお出ましになられましたし、
石清水神社にお参りしたあと、神功皇后と比売神が
すごろくのような遊びをされている夢を見ました。
また宇治神社に参拝したあと、
宮主宅媛が多くのご家来をおつれになり、
夢枕にたたれましたので、この方の
祖父の難波根子建振熊命はおられると思います。
応神天皇はお出ましになられたことがないので
わかりません。
私に分かるのはここまでです。
乙姫様は神功皇后のことかどうか分かりません。
ねこが難波根子建振熊かどうかもわかりません。
この物語時代が全部迷彩かもしれませんし。
そこが迷彩の難しいところです。
額面どおり推察してそれが事実であるなら、
迷彩の意味がないですからね。
  3. Posted by にゃべ 2006年10月15日 18:09
にゃべです。こんにちは。
(桃太郎+浦島太郎)-太郎÷2のような、桃太郎と浦島太郎の後日談のような・・・
諸説に照らし合わせて考えると、各動物はそれぞれがそのクニの武士集団、羅刹はヒンドゥー教徒の軍、ねこ・乙姫様は与那国島出身ということになるのでしょうか。
そして、太郎はどこへやらという謎が残るわけですが・・・うむむむむむむ
日本書紀や神話を研究されている方には、ねこ太郎さんを通じてお話になる古代の皆様の御言葉が非常に重大なヒントになるはずです。
  4. Posted by ねこ太郎(管理人) 2006年10月15日 18:22
なんか、まとまりがなく、
内容の収集がつかなくなってしまいましたね。
何か日本昔話の総集編みたいな感じです。

たとえ話ですからね、何か深い謎が隠されているのかも
しれませんが、たとえ話はそれ以上内容を
詮索しないほうがいい場合もあります。
古代人の智恵ですね。
  5. Posted by 美剣 2006年10月15日 18:29
竜宮城の乙姫は久米の息長姫即ち神功皇后・実は即位していた神功大王。大君は仲哀天皇。熊は熊襲。羅刹は新羅。
  6. Posted by 美剣 2006年10月15日 18:35
神功皇后が立てた皇太子は応神天皇。鹿の皇子はかご坂皇子。熊の皇子は押熊皇子。
  7. Posted by ねこ太郎(管理人) 2006年10月15日 18:43
美剣さん、ありがとうございます。
この時代はある時期を境にして
朝廷の文化様式が一変した時期であり、
非常に難しい問題も内包しているようで、
本当に見るのに苦労しました。
お助けいただき、ありがとうございます。
  8. Posted by にゃべ 2006年10月15日 18:55
なるほど。
「日本人の系譜」の部分とリンクしているんですね。
内容としては非常に複雑な心境です・・・。
  9. Posted by ねこ太郎(管理人) 2006年10月15日 19:06
本当に難しい問題です。
  10. Posted by 美剣 2006年11月01日 17:02
神功皇后(神功天皇と呼んだ方が正確なのでしょうか)の先祖神が武甕槌之命ということは、武甕槌之命は久米系の神様なのでしょうか。武甕槌之命は春日大社・吉田神社の祭神で、今では藤原氏の氏神とされていますけれど、本当は違うのでしょうか?
あと「天照大御神、稚日女尊、事代主命と明石の三神、そして山の上に乙姫様の先祖神である 武甕槌之命の宮を建てることとなった」とありますが、その場所はわかりますでしょうか?
  11. Posted by ねこ太郎 2006年11月01日 21:04
美剣さん
私が見たところ、どうみても神功天皇は久米の姫様です。
しかし、ご自身は武甕槌之命の末裔だと
言ってらっしゃいます。
私にはそれ以上わかりません。
私の視たものが間違っているのかもしれません。

神社の場所は、生田神社、長田神社、高取神社が
頭に浮かびました。
それ以上は分かりません。
  12. Posted by 美剣 2006年11月01日 21:28
ねこ太郎さん、学研の神道の本を読んでみたら、ひっかかってきました!タケミカズチは和邇氏の支族・大氏が常陸に祭っており、その後同じく和邇氏の支族春日氏が大和で祭るようになったと!和邇氏は久米系ですよね!タケミカズチは久米の先祖神とみて間違いない、ねこ太郎さんの見たとおりでしょう!
タケミカズチは藤原の先祖神ではないのに、藤原氏が権力をもって自分達の氏神に書き換えたらしいです。

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