般若心経は退魔経ではない

2014年03月02日
般若心経は退魔経ではない

最近、たまたま般若心経の現代語訳というのを見まして、分かりやすく内容を
解説しているものがありました。
しかし、色々な約があるものの、要約であるため、その一つ一つの言葉の意味まで
解説してあるものはなかったですね。
般若心経は非常に尊いお経で先祖供養のために仏壇の前で拝むのにはとてもいいお経です。
ですので、霊に対して抗する力があるのではないかと思われがちですが、
仏壇に対して唱えるのですからむしろ、慰霊のためのものであって、霊を気持ち良くするお経であります。

特に、最期の部分、
揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶

この部分の意味ですが、これは意訳すると
「行こう、行こう、さあ行こう、極楽浄土へ」
という意味です。これは、さあ、私と一緒に極楽浄土に行きましょうという事なので、
先祖にしてみれば、嬉しい事であり、自分が死んだ時に先祖に迎えに来てくださいねという
意味になります。
しかし、これが心霊スポットなどで唱えるとえらい事です。
そもそも、心霊スポットなどと呼ばれている場所には行かないことが基本ですが、
曰く因縁のある場所で供養のためと思ったり、退魔のつもりで般若心経を
唱えたりすると、これはむしろ霊を呼び寄せることになるということです。
そもそも、霊的な現象が起るような場所には行かないことが基本ですが、
それでも、どうしても通ってしまった場合は、退魔しようなどと考えないほうがいいです。
むしろ、そういうものと関わりになりたくないのであれば、チャンネルを変えるのが
一番です。つまり、よそ事を考えること。明るいこと、楽しい事に熱中していれば、
波長が切り替わって、そういうものとは関わりを持たなくします。
ただし、エロい事は波長があうので、健全で明るいことを考えながら
そういう場所はやり過ごしましょう。


1. Posted by ぐり~ん 2014年03月02日 05:33
昔、私は社会心理学者の加藤諦三氏や、スピリチュアリズムのシルバーバーチの本などを読み漁っていました。
それでたどり着いた結論が「動機論」というものでした。
どんなものであれ、それが自分の本当の気持ちならば辛くてもそれを認めて、自分の気持ちと向かい合っていく、というものです。
そんな時に般若心経も現代日本語訳に直しながら読みました。
それで当時思ったのが「あ、これ動機論じゃないか」。
動機論という言葉は使っていないが、般若心経に述べられている文面が動機論そのものに感じました。
つまり、心に一切の嘘や無理が無い境地、とでも申しましょうか。そうした境地にいたりましょうね、ということを説いているお経だと理解したのです。
で、数あるお経の中では最も短いけれど、これだけ物事の真理をついてるお経は他に無いなあと感動して一時は毎日唱えていました。
もう文面見ないでそらんじてましたよ(笑)。
うちは神道が宗旨なのに(^_^;)
一方、「大祓詞」を唱えるようになったのは楠さんのブログと出会ったことによってです…

本当はご先祖さまへの供養のためのお経だったのですね。
ちなみに、神道では「祖霊拝詞」というものがあって私はそれを毎日唱えています。
2. Posted by 楠乃小玉 2014年03月02日 09:11
ぐり~んさん
般若心経は魂を慰撫する経文ですね。
自分の心に正直に向き合っていくと
いうことは大切ですね。
私も学ばされます。
神道には「祖霊拝詞」「神棚拝詞」
というのがありますね。
般若心経は色々考えさせられる
よいお経だと思います。
3. Posted by ぐり~ん 2014年03月02日 19:44
うちは明治になるまでは、武家には定番の臨済宗妙心寺派が氏寺でした。
以前も書いたと思うんですが、戊辰戦争で敗れて、仙台藩は時の藩主伊達慶邦公ご自身が宗旨を神道にかえられます。
重臣の中にもそれに倣う形で神道に変えたところがあるんですよね。
隣の会津藩では藩主の保科(松平)容盛公は日光東照宮の、筆頭家老だった西郷頼母殿は霊山神社のそれぞれ宮司となります。
どうも奥州の佐幕派は明治以降、神道に宗旨替えしているところがまま見受けられます。
だから長い歴史の上では、我が家のご先祖様は代々仏式で供養されてきたはずで、明治になって神道に変える時にそれまでのご位牌(仏様)から、ご霊璽(神様)への御魂遷し(正式名称ちょっと違ってたかも)というのをやっているんです。
そこでよく思うのが、江戸時代のご先祖様は祝詞(祖霊拝詞)を唱えられることに本当は違和感を感じられているのではないか、本当は江戸時代以前のご先祖様にとっては代々唱えられてきたお経の方が心にしっくり来るのではないか?とか、実はよく思ってしまうんです。
家が代々奉じてきた宗旨を大切に、というのがこのブログ始まって以来の楠さんの主張だったと思うのですが、そんな楠さんからみてこのことはどう思われますか?
4. Posted by 楠乃小玉 2014年03月02日 21:04
ぐり~ん さん
奇遇ですね。うちの家も
明石松平藩で佐幕派です。
先祖がどう思っているかという事を
言うのであれば、仏教渡来前の
先祖は神式で祀られていたと
思います。
うちのブログのお客様には
東北の方が多いんですが、
東北には佐幕派の藩が多かったので、
先祖のご縁で何か繋がっているのかも
しれません。
ということで、色々な経緯があって
神道でご先祖をお祀りしているのですからその経緯をご存じのご先祖も
ご納得されていることと思います。
だから大丈夫です。
5. Posted by ぐり~ん 2014年03月04日 01:22
楠さんありがとうございます。
これで安心して神道式で先祖をお祀りできます。
なんだか本当に楠さんとご先祖様同志の繋がりを感じます。
うちの先祖は仙台藩では会津救済派の急先鋒でした。
あの世○修造の暗殺を最初にしようとしたのもわが先祖です。
司馬遼太郎氏の「斬殺」という小説にもそのあたりのことがちょこっと載っています。
結局暗殺の役目は他の者に回りましたが、
先祖は白河や海道方面で大隊長として大暴れしているんです。
さぞや慰霊が必要なことと(^_^;)

播磨と陸奥との繋がりと言えば、以前も申し上げた通り、陸奥国伊達郡の「伊達」は江戸時代になる以前は「いだて」と読んでいました。
播磨国には播磨国総社の「射楯」兵主神社や、中臣「因達」神社など「いたて」神社が多くご鎮座していますね。
素戔嗚尊の御子神様・五十猛命をご祭神とする神社です。
陸奥国伊達郡はそうした播磨の射楯神(五十猛命)を祀る一族が古代に移住してきたとの有力説があります。
また、伊達郡より北の陸奥国「色麻郡」にも伊達神社は鎮座しています。
播磨国の射楯神社も「飾磨郡」ですよね。

もしかしたら、陸奥国一宮の塩竈神社の「塩竈」も「飾磨」の変化したものかも?とか思ってしまいます。

また五十猛(いたける)命は、きっと=「伊都猛」命ですね。
6. Posted by 楠乃小玉 2014年03月04日 08:17
ぐり~んさん
日本には古代の遺跡として
日本三奇というものがあって、
それは
御釜神社の日照り続きでも水が空にならない釜の水の謎(宮城県)  
高千穂の峰の天の逆鉾の謎 (宮崎県)
生石神社・石の宝殿の巨石の謎 (兵庫県)

なんですよね。
一説には生石神社は物部氏が神殿を
建造中、蘇我氏との戦乱が起き、
物部氏が敗れたために放棄された
工事跡と言われています。
もしかしたら、播磨から
撤退した物部氏が
東北に移り住んだという
可能性も否定できません。
そうであれば、伊達氏の伊とう
字も播磨と関わりがあるかも
しれませんね。
7. Posted by ぐり~ん 2014年03月05日 01:48
そうすると、播磨の五部族の内、残された一部族の名前が伊達族だった可能性がある訳ですね。
ちなみに伊達神社は紀伊国にもあります。
紀州は五十猛命祭祀の本場のようなところがありますからね。
伊達氏ゆかりの家に生まれた者としては嬉しい限りですが、ひいき目にならないように一応他の可能性にも考えを巡らせてみますと、
私は伊賀族、伊佐族、伊豆族などを考えたことがあります。
・伊賀は、物部の系譜の初期にイカガシコオやイカガシコメなど「イカ」と付く名前が多く見られ、また実際にその子孫が伊賀方面に根拠地を有していたとされていることからそう考えました。
・伊佐は常陸国にある地名で、伊達氏は奥州伊達郡を賜る以前はこの地の豪族で、伊佐氏を称していました。
また、常陸は中臣鎌足の故郷とも言われ、春日大社の元宮である鹿島神宮を擁するなど、物部の東国における一大拠点でもありますので。
・最後に伊豆国ですが、ここは鴨氏の痕跡が東国においては一番色濃く残っている地ではないでしょうか。
三島大社を擁し、役小角伝承が数多く残っています。
ただ私は「伊豆=伊都」だろうと考えていますが。

でも前から疑問だったのですが、どうして播磨の諸族は伊和、伊勢、伊予、伊都とみんな頭に「伊」と付くのでしょう?
また、「伊」ってどういう意味なんでしょうか?
「宇」は、「最初の」の意味でしたよね。
「宇留」だと、「初めて留まる」の意味、
「宇治」だと、「初めて治める」の意味、
また、同じように考えると、「宇佐」は「初めて補佐する」といった意味になりますか。

さて「伊」って一体何なのでしょう?

8. Posted by 楠乃小玉 2014年03月05日 10:11
ぐり~んさん
面白い視点ですね。
私も伊という言葉は興味深いなと
思っています。
言葉の本来の意味ですご
手に杖をもった人、長老という
意味合いと、技術をもった
職能集団というような意味合いが
あるようですけどね。
9. Posted by ぐり~ん 2014年03月06日 12:22
「伊」の意味は長老とか職能集団のことなのですか。
うーん、上手く言えないけど、なにかその後の日本の方向性を見事に表しているようなそんな気がします。
ところで生石神社の石の宝殿、画像検索して見ました。これすごいですね!
人工の磐座?それとも社殿?
播磨は六甲の磐座郡や、雄岡山の石の祠のように石に纏わる祭祀場が本当多いですね(六甲は摂津国でしたっけ?)。
物部という視点で見ても、「石」上神宮や「石」切神社、「石」鎚神社と石が付く名称が多いですし。
そこで思い出すのが、かつて神功皇后が、戦に倒れられた御夫君・仲哀帝の葬儀を行った時に、仲哀帝の側近たちが口にした台詞のエピソードです。
「石の棺に収めるのか!」
10. Posted by 楠乃小玉 2014年03月06日 19:50
ぐり~んさん
生石神社の石の宝殿はエキゾチックですよね。
しかし、あの場所に石作の神殿が
完成した姿も見てみたかった気がします。
物部氏は石に関わる名前の神社が
多いですよね。
元々石器に関わっていたからこそ、
製鉄の分野でも力を発揮したのかも
しれませんね。
石の中から鉄が生まれ、そこから
剣が生まれますからね。
11. Posted by U2 2014年03月19日 18:12
こんばんは。
御無沙汰をさせて頂いております。古代の歴史関係がエントリーからなくなっていてちょっとさみしいのですが…

最近短期間ですが導かれるように、「足を使える」場所に戻れましたので、巡っている中で色々伺っておりました。温羅退治にどうも伊和大神様が関られたと言うか、あの…神功皇后様は伊和大神様の縁者であるようにも感じるのです。

久米(柵原)の鉄と伊和の技術、海の巫女としての「統率」、(以上神功皇后)そこに難波根子武振熊命(戦後:近江―日本海側海軍統一)が関られているかと存じます。その蔭に木花咲耶姫命のお知恵を感じまして…
伊和と宇美の融合が温羅征伐(合従軍による包囲殲滅戦)であったように感じます。
戦後処理と、その後の戦乱でグシャグシャですが、それが日本を作ったと思うのです。(敗れた一族は近江(和邇息長)を経て全国に散った感があります。)

追記:猫の戦いを一瞬でもいいので再掲して下さったら死ぬほどうれしいなあと思います。(無理は申しませんけれど、温羅の戦いの部分が一部思い出せないのです)
12. Posted by 楠乃小玉 2014年03月21日 09:40
U2さん
公開中止にした古代史なんですが、
下書き状態にしていたはずなんですが、
丸ごと全部消えていました。
何かの障害なのか、それとも
私が消した時に間違ってやってしまったのか。
坂本龍馬や平家の記述もごっそり
消えていたので、私としても
とても残念です。
ご期待にそえず、申し訳ございませんでした。
これは、また何かの機会があれば、
新しく古代史などを書けという
神様のお導きかもしれません。
13. Posted by ぐり~ん 2014年03月21日 12:27
>丸ごと全部消えていました。

ああ!それは残念(>_<)

>これは、また何かの機会があれば、
新しく古代史などを書けという
>神様のお導きかもしれません。

でも、これはすごい楽しみです。o(^-^)o私からもどうかよろしくお願いいたします。

温羅退治は私は個人的には吉備津彦命(=桃太郎)の業績かと思っているのですが、伊和大神=大己貴命とも言われているように、異名同体の神って多いようですしね。
例えば、吉備津彦命の場合、=天照国照彦天火明命=阿遅鍬高彦根命(迦毛大御神)=賀茂別雷命(上賀茂神社ご祭神)=伊勢都彦命と、最大でこれだけの異名同体神である可能性があると考えております。
もし吉備津彦命=天火明命である場合、その父神様は大己貴命となり、またその大己貴命=伊和大神であるならば、温羅退治は父子二代での業績となり、確かに辻褄が合ってきます。
また、天照国照彦天火明命こそが男神としての天照大御神なのか、あるいは原始太陽神と言われる赤石大神こそがそれだったのか…
私の崇敬神である瀬織津姫命は天照大御神(男神)の妃神であったと言われているので、この辺に興味がつきません。

楠さん、私からも神代・古代のお話の復活のことどうか重ねてお願い申し上げます。

14. Posted by U2 2014年03月21日 14:42
楠様ご無理申し上げて済みませんでしたm(__)mありがとうございます。
足が使えると、思わぬことから色々な事が繋がってきますね。八上に行こうとして、久米の佐良山の前にボンと出たリ、伊和大神様を伺ったら柔らかくてイチキシマ神社(境内社)に行けとか。阿智神社の宗像三女神様とコノハナサクヤ姫様(はなぜか金比羅和邇にも)が関わりあったり、ぐりーん様が信奉される瀬織津姫様の痕跡だけ少ないのですが、実はもしかして阿智の三女神は神話の神様というよりは、神功皇后を含めた三人の巫女様である(熊野(水軍)にかつては瀬織津姫の信仰が?)なんて考えていて、そうすれば時系列や場所を飛び越えられるとも。
ぐりーん様、皇大神社外宮で最も暖かった豊受大神が瀬織津姫様に関わりがあって驚いた記憶があります。いずれにしても、かつて拝読した猫の戦いはある意味、不思議な導きの際にはうろ覚えながらバイブルに?させて頂いておりますm(__)mありがとうございます。
15. Posted by U2 2014年03月21日 15:13
追記でございますがぐりーん様、異名同神が多いのは、信ずる神様に名誉を帰せたいもの、であったような気がいたします。例えば、神功皇后はイチキシマ姫の導きを受ける巫女様とすると出身は久米で問題なくなります。(どこかでお名前イキナガタラシヒメと、イキチシマの発音の類似が指摘されたのを見た記憶が)、そしてイキチシマ姫の伝説が増えます。こうやって自分の信じる神様をより多くの人に信じてほしいって気持ちがあって、神様が全国規模に広まった様に思うのですが間違いだったらごめんなさい。楠様コメント欄お借りしましたm(__)m
16. Posted by ぐり~ん 2014年03月21日 20:48
U2さん、詳しく教えていただきありがとうございます。
私は関西や中国地方(もちろんそれより西方も)のことはさっぱり不案内ですので、示唆に富むご教示をいただけてとても助かります。
外宮と瀬織津姫命との親和性については私もこれまで幾度となく聞いたことがあります。
また、豊受大神=市杵嶋姫命であるという説も。
さらに、市杵嶋姫の別名である佐依(さより)姫は語感が瀬織津姫の「瀬織」に似ていることから二神は同一神であるとも。
異名同体ということで言えば、御崎大神=伊和都比売命=豊受大神=宗像三女神というお話も聞いたことがあります。
そして、実は私の崇敬神社でも市杵嶋姫命に関してちょっと不可思議な出来事がありました。
その他色々書き切れないことがいっぱいあります。
どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。

17. Posted by U2 2014年03月21日 23:00
古代に没頭する契機は紛れもなく楠様のお陰ですし、私知識は楠様は勿論ぐりーん様の足元にも及びません。崇敬するのが神功皇后様で、その関連で様々示唆頂いているに過ぎません。親和性はお導きで非常に強く感じます。ただ瀬織津姫のスサノオ的な親和性は独特のものがあるような。沢山のイキツシマの巫女がいらっしゃって得意はそれぞれ差があったのかな?と思ったり。びっくりしたのはコナハナサクヤ神社が岡山にあり、水が湧く地であった事です。残念なことにまた異動ですが伊勢、熊野、奈良を巡りたいと思う所存です。楠様、ぐりーん様今後とも御教導お願いしますm(__)m
18. Posted by 楠乃小玉 2014年03月22日 18:32
ぐり~ん さん
U2 さん
大変含蓄のあるお話お伺いして
大変勉強になりました。
現在忙しくてなかなか書けませんが
これこからも色々と勉強して
神社の事を書いていきたいと
思います。
大山祇命をめぐる神々は
実に奥行が深いですね。
岡山にコノハナサクヤ神社が
あるのは興味深いですね。
大山祇命は元々薩摩地方の神であるという説が有力ですが
関西の高槻のほうにも大山祇命
降臨の地という伝説があり、その
地方には神功皇后の伝説が
多いのも興味深いです。
実際に調査に行って調査もしましたが
高槻の方はどうも百済から亡命した
亡命百済人の崇拝する神を
この地に祀った伝承と統一視した
気配などもありました。
そういう意味では地場の勢力をもつ
豪族が自分たちが崇敬する神の
偉業を高めるためにより自分たちと
関わりのある神の業績を地域で流布
したことも原因にあるでしょうね。
播磨でも小野大樹の賊討伐の
話と越智益躬との混同が見られます。
また、大黒天と大国主命の
音読みが似ていたために混同された
事例やご利益が似ていたために
混同された牛頭天王と素戔嗚命の
混同の例などもあります。
19. Posted by U2 2014年03月23日 10:21
楠様ありがとうございます。
今週も、少し無理して金比羅に行ってきました。どうも(コノハナサクヤ様よりも)瀬織津姫様と関係があり、陛下も奉献されていたのが印象的でした。奥の院が関係あるらしく(祀られてはいない)、また崇徳院も祀られていていました。
先程は、牛窓、瀧、赤仁神社を回ってきましたがいずれも瀬織津姫様と関係あるようです。
あくまで私見ですが色々故あって、コノハナサクヤ様と、動きを共にされているらしく、月、火、水、木(花)、金(資源)、土(溶岩)、太陽(日)をカバーしている様で、尚赤仁神社では、伊勢、瀧、荒、御神水が隣り合っていて驚きました。
コノハナサクヤ様は月を操りますが、瀬織津姫は太陽を操る印象です。属性が分かりにくいのは、そのような万能性の為かなと思いまして、取り敢えず報告申し上げます。(あくまで私見です)
20. Posted by 楠乃小玉 2014年03月23日 11:54
U2さん
金毘羅山にお参りに行かれたのですね。
あそこは私も行ったことがありますが
風光明媚で大変よいところです。
海洋の神様でもあり、大きな船舶の
スクリューなども飾ってありますね。
よいご加護がいただけたようでなによりです。
21. Posted by U2 2014年03月23日 15:23
ありがとうございます。般若心経等にも目を通して見ます。多くの偶然を頂けるときも、頂けない時もございますが、己の我欲と向き合い一歩一歩歩む中で、その意味に気づけるよう努力したいと思います。
22. Posted by ぐり~ん 2014年03月26日 00:51
U2さん
私の方こそU2さんの博識に感嘆しておりますし、いつも勉強させていただいております。
「瀬織津姫命は太陽的」。素晴らしい感性をされておられます。
瀬織津姫命は、元は男性太陽神を祀る巫女だったものが死後に神格化したものかもしれませんし、前述したように男性神である天照大神のお妃だったお方かもしれません。
鍵は六甲山と広田神社だと思います。
六甲山山麓は歴史時代は全域が広田神社境内でした。
広田神社のご祭神は憧賢木厳之御魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)命です。
天照大御神の荒魂、と一般には言われています。
長い名ですがこの内、「向津姫(むかつひめ)」の部分が重要です。
六甲の本来の読みは「むこ」です。
歴史的には「武庫山、向津山」などと色々な字が当てられてきたようです。
つまり、向津姫とは「むこの姫=六甲の姫」の意味になります。
それと神功皇后もとても大切なキーワードになります。
神功皇后(久米息長帯姫)が神懸かりして大和との戦争に戦勝した後に、それらの神を播磨の各部族に命じてお祀りさせた神社の内の一座です。
それと思うのですが、瀬織津姫命の謎や秘密も、もしかして既に楠さんの過去の記事に答えかそれに近い内容が書かれてあるのかもしれません。
市杵嶋姫(実は伊都杵嶋姫?)命を含む巫女星の三連星、赤石大神、棚機津女、七白大明神、北辰妙見信仰、八幡信仰etc、
これら全てが瀬織津姫信仰に繋がってくると思われるからです。
23. Posted by ぐり~ん 2014年03月26日 00:54
続きです

また、U2さんご指摘の豊受大神は余呉湖の羽衣天女伝承とも関連性があるみたいです。
そして羽衣天女は、神功大王を慕って日本に渡来してきて当初は朝霧の古墳をお祀りしてきたという新羅からの巫女集団(これが七白大明神?)と深い関連があるのではないでしょうか?
また、棚機津女(日本在来)と七白大明神(渡来系)、これが融合していかにもその後の七夕に繋がって行くような名前です。
素戔嗚尊も仰る通りとても重要です。
私は雨乞いの生贄祭祀(オロチ祭祀)と、素戔嗚尊による同祭祀の廃止というような事があり、それに瀬織津姫命が関係しているのではないかと推察しています。
また、楠さんに教えていただきました「犯土」もとても重要になってきます。
そのような訳ですので此方こそ今後ともよろしくお願い致します。

楠さん、
たくさんの「ヒント」の数々ありがとうございます。
24. Posted by 楠乃小玉 2014年03月26日 06:24
ぐり~んさん
ぐり~んさんの知識も
大変勉強になっております。
私も色々勉強を進めていきたいと
思っております。
特に六甲の考察に関しては
秀逸ですね。とても勉強に
なりました。
ありがとうございます。
25. Posted by U2 2014年03月26日 16:40
ぐりーん様…そうなんです。楠様が答えを書いて下さっているんですよね。
そして色々な教唆ありがとうございます。拙い思い込みが楠様、ぐりーん様への御礼になるかどうか存じませんが…

例えば…こちらの事ですね?
>「海洋運搬の比売神(伊和、伊都混合の伊和都系)」

>市杵嶋姫(実は伊都杵嶋姫?)命を含む巫女星の三連星、赤石大神、棚機津女、七白大明神、北辰妙見信仰、八幡信仰etc、これら全てが瀬織津姫信仰に繋がってくると思われるからです。

…については、「巫女(神)様の理想形であったから」だと勝手に考えています。

棚機津女=倭文(伯耆一宮)≒久米エリアですね。あちらは下照姫の話も混じっている様に思います。

今回びっくりしたのは「蛇」のお話。『蛇』は瀬織津姫様を慕ってらっしゃって、そのイメージが後に「宇賀弁財天」になったと感じています。
それと修験道や新興宗教は実際には瀬織津姫様のお力を借りてらっしゃる所が多いようですね。

伊和大神様が神功皇后様に見せたと思われる『眼差しめいたもの』から以前は「なんじゃそれ?」と思っていた物が知識に変わる。有難いなあと思います。
そう云えば、「伊和」は「岩戸」の父とも言えますね。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック