高田康利氏の著書


2011年06月18日
高田康利氏の著書
今、高田康利氏の古代史に関する著書を読んでいるんですが、
この方の説ですと、日本総鎮守である大三島、大山祇神社のご祭神である
大山祇命の本当の御本社は播磨国の稲爪神社であるということだそうです。
古文書などを編纂し、調査した結果、そういう結論に達したということで、
大変興味を惹かれました。
私独自に調べた状況ですと、播磨国賀茂郡辺りに本来の御本社があったのではないかと
考えています。
そして、元々稲爪神社は伊和都比売命がお祀りしてあった霊的場所であったところを
鴨部の民がこの地に影響力を持った関係で、大山祇大神をお祀りしたものだと考えています。
大山祇命は別名、大山積命とも書かれ、私は、本来、こちらの呼称が最初にあったのではないかと
考えています。
この神様は、伝承では山の神様であるという位置づけがされていますが、
本来は財政と物流の神様ではなかったかと考えています。
それは、仁徳天皇の御世にこの地に屯倉が置かれ、近隣地域からの穀物の集積地と
されており、大蔵と呼ばれていたことから、大山積という言葉は山のことではなく、
米俵などが山積されている光景を称して大山積といったのではないかと
考えたからです。
私自身、元々播磨が大山祇大神の発祥の地であると考えていただけに、
専門家からも同意見が聞けて興味深かったです。
引き続き、この方の文献を読み進めたいと思います。





2011年07月07日
民主党政権による被災地への圧力
  6. Posted by 美早 2011年07月10日 12:10
はじめまして。古代史の事を検索していたらこちらにたどり着きました。平家の方々のユーモラスさに笑ってしまいました。私は霊を信じていますが見えることはなかったと思います。

ところで管理人様は邪馬台国の卑弥呼や埼玉県行田市のさきたま古墳群についてどうお感じになられますか?

私はさきたま古墳がお気に入りです。観光で訪れてからよく夢に出てくるようになりいつも光輝いたり、澄み切った気持ちのいい風が通り抜けていくそんな夢です。あと綺麗な勾玉がたまに現れます。
綺麗な夢なので特に気にしてはいませんでしたが、なんかメッセージとかあるのでしょうか?
  7. Posted by 楠乃小玉 2011年07月10日 14:38
美早さん
はじめまして。
平家の方々は本当に陽気で
ひとなつっこい感じのする
方々ですね。本当に人の好さを
感じます。

邪馬台国の卑弥呼に関しては漠然とした
ものしか感じませんが、
毅然としたものを感じますね。
政治的問題で気苦労が
絶えなかったような雰囲気も
感じますが、くわしいことは
わかりません。
さきたま古墳に関しては、
氷川神社が頭にうかびましたね。
古代神がお守りしておられる
古墳ではないでしょうか。
女性の神様と神様をお守りしている
桜の精霊が頭にうかびました。
あくまでもイメージですけど。
あと、水と関係する精霊が
いるような気がしました。
  8. Posted by ぐり~ん 2011年07月10日 22:26
美早さんはじめまして。
ぐり~んと申します。
私もさきたま古墳群(の中の特に稲荷山鉄剣銘)や、
武州の神社(氷川神社、小野神社、大國魂神社、etc)には大変興味を抱く1人です。以後よろしくお願い申し上げます。

楠さん
氷川神社が守護しているとなると、古墳の被葬者一族はやはり出雲系氏族でしょうかね?

氷川神社とさきたま古墳群の中間あたりに鴻巣市という市があるのですが、この街に「笠原」という地名があります。
そしてこの笠原を姓とする豪族・笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)という人物が6世紀前半頃の武蔵国造であったようです。
ちょうどさきたま古墳群が隆盛を極めるのもこの頃からです。

それ以前の4、5世紀頃には南武蔵の多摩川沿いの地域(大國魂神社~荏原台古墳群にかけて)の方が隆盛を誇っていたようです。
6世紀前半に起こった武蔵国造の乱で、この多摩川周域の覇者であった笠原小杵(かさはらのおぎ)が、上述の笠原直使主に敗れて滅ぼされたことにより、武蔵国の中心地は北武蔵の氷川神社~さきたま古墳群地域の方に移動したものみたいですね。

あと、「女性の神様」というのは氷川女体神社、
「水と関係する精霊」というのは、もしかしたら古東京湾の名残である見沼の精霊かもしれません。
そして氷川神社内にある神池は、この見沼の名残であるとのことです。
  9. Posted by 楠乃小玉 2011年07月11日 01:24
ぐり~んさん
そうですねえ、
稲荷塚古墳が八角墳である点を見ても、
大和の中央の文化的影響を強く受けた
勢力がこの地を支配していたのだと
思います。
系統としては出雲系の可能性は
濃厚であるとは思います。
笠原直使主は朝廷から信任を受け
強い信頼関係を構築していたと思います。
氷川女体神社の関係の精霊というのは
そうかもしれませんね。
磐船祭を懐かしんでこの地に
住んでいるのかもしれません。
あくまでも私の感じたところなので
明確に断言はできませんが(汗
  10. Posted by ぐり~ん 2011年07月13日 01:14
楠さんへ

そうなんです。
笠原直使主は大和朝廷と連携し、南武蔵の笠原小杵と戦ってこれを滅ぼしました。
一方の笠原小杵は、北関東の古くからの名族である上毛野君氏と結んで使主を倒そうとしました。
その毛野氏の勢力範囲は今日の群馬・栃木のほぼ全域から茨城東南部、南は武蔵北部にまで及んでおり、それまで東国の事実上の覇者と言って良いような存在であったようです。
この戦いで朝廷側と結んだ使主が勝利したことにより、関東地方は(毛野氏を中心とした)それまでの独立性を失い、大和王権の一員となった笠原直氏やその後裔の丈部直氏(武蔵宿禰氏)が関東で有力な地位を占めるようになっていったのかなと考えています。
何しろ、武蔵の隣国の相模国造(鎌倉氏や三浦氏などの前身?)や、房総の上兎上・下兎上両国造(上総氏などの前身?)、茨城の新治国造や多珂国造、陸奥磐城の岐閉国造(岩城氏の前身?)など、皆この武蔵国造の一族ということですから、その勢力のほどが伺い知れます。
そして、紀記によりますとこれら武蔵国造一族らの遠祖は天穂日命(出雲臣氏祖)であるということです。
  11. Posted by 楠乃小玉 2011年07月13日 22:33
ぐり~んさん
なるひど、こうした事が背景にあって
関東では氷川神社の勢力が
強いんですね。
群馬、栃木、茨木と関東圏が
文化的に少し様相が異なっている
点もそうした状況が背景にあるのだなあと思いました。



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